欠陥模型大百科外伝・深紅彗星版

ENCYCLOPEDIA MODELLICA EXTRA  “Crimson Comet” version

石川雅夫(MMI)
第11回モデラーズ・スペース展示会(2000年)

JAF-CON模型コンテスト奮戦記・”こ-して私は金賞した”

Dr.Strangegloss OR : How I learned to stop worrying and love the pearl.

 前回の展示会以来、謝ってばかりいる様な気がするが、JAF-CON模型コンテストガンプラ部門金賞受賞の最初の感想はやはり、昨年の当展示会テーマ部門優勝の時と同じく、「どうもすいません」だった。
 もう少し正確に言うと、「本当にいいの?」と云う気持ちであり、唯の素組みのプラモデルがこんな高い評価を受けられる筈が無い、と云う一種の固定観念がその根本にはあったと思う。

確かに「素組み勝負」はここ数年来の私の隠しテーマだったし、明らかに不利なのを承知の上で、展示会のテーマ部門に素組み作品のみでエントリーし続けたのも、「塗装だけで勝負してやる」と云うある種の意気込みから来ていたのは間違い無い。

しかし、そのテーマ部門ですらせいぜい2位どまりだったのは当展示会常連の皆さんならご承知の通りだし、失礼を承知で言わせて貰うならば昨年の優勝は明らかに周りが薄かったのが原因なのは私が一番良く判っている。[ 註1 ]

HJ誌2001年5月号講座に掲載された、HGUCキュベレイの事。

それこそY沢氏の作品が初日に間に合っていれば私には全く勝ち目は無かった筈なのだ。

この展示会ですらそうなのだから、ましてや天下のJAF-CONが相手では入賞すらおぼつかない、と本気で思っていた訳だ。 
そしてそのせいで当日の会場ではマヌケの連続をやらかす事になる。

-深紅王の宮廷にて-

 そもそもPGでザクが出る、と聞いた時点で、「絶対作る」と決めていた。

ただ当初は発売されたキットがF型だった事もあり、量産型にするつもりだったし、キットも早期にF型を入手していた。
 実はこの時点では、外装を「マジョーラ」で塗りたいと考えていたのである。
 
それで八方手を尽くして調査したのだが、前項(望外僥倖版)で書いた通りの経緯で断念するに至る。

となると量産型では他に面白い色が思いつかないし、かと言ってシャア用は以前MGでゲルググが出た時に、私なりのシャアピンクを作っているので同じ色ではやりたく無い。
 どうしたモンかと思っていた時期にフッと「ヴィッツのピンクって不思議な色だよね」と云う話が何かの折りに出たのだ。

「それだ!」と云う訳でまずはヴィッツのピンク(正式名称は「ペールローズメタリックオパール」と言う)の色彩構造にあたりを付ける所から始め、あの奇妙な透明感と、見る度に色相の印象が変わる原因を手持ちのパールを組み合わせて探るテストを重ねた。
 
まぁ、この辺の大まかな構造は始める前から大体の察しは付いていたし、たとえヴィッツのピンクその物ずばりの色を作れたとしても、そのままザクに塗っても映えない事は判っていたので、この段階のテストにはそれ程の時間は掛からなかった。[ 註2 ]

偉そうな書き方ですが、具体的に言うとこの時点では、あれは多分虹彩色パールを使っているんだろう、程度の推測をしていただけで、実は現時点でもヴィッツのピンクは再現出来てはいません。
あれは見れば見るほど微妙なピンクで、ヴィッツのデザイン自体ともあいまった絶妙のバランスだと思います。あれだけ流行った色だけに、他メーカーも似た様なピンクパール系の色を幾つか出して来ましたが、いずれもあのレベルには遠く及ばないと思っています。
何より、当のトヨタがあれに続く色を作れてない事自体、あの色の凄さと云えるでしょう。
Will-Vi他、いくつかの車種に同じ色があったと思いますが、形が変わるだけで色の印象まで全然変わるんですよね。

一般的に言われる、いわゆるシャアピンクはサーモン系のピンクが定番であり、MGゲルググで私が作ったのもそうだったので、今回は逆をいってやや青味がかったローズ系ピンクにする事に決め、自分なりのアレンジをテストし始めたのだがこれが長い茨の道の第1歩だった。

-海神めざめる-

 受賞コメントでは字数が限られていたので、ただ単に5層構造とだけ書いたが、これはサーフェイサー層も数えて5層と云う意味であり、パールは2種類を2層に分けて吹いてある。
 
他にもソリッド層や着色層もあり、それぞれの層ごとに正確に色や顔料濃度を決めて行かなければいけない訳で、これはとてもじゃないがそこいらのプラ板にちょこっと塗っておしまい、と云う様なお手軽の色合わせでは済まない事は判って戴けるだろう。

私はパールカラーの色作りをする時には、必ず本番と同じ工程で塗ったテストピースを作る事にしているのだが、テストである以上、再現性がなければ意味が無い。
 その為に塗装工程は出来る限り定量化する事に努めており、各層ごとの混色の比率も、必ず再現可能な形でデータを採っておく。
 
全ての塗料を4倍に希釈する事にしているのも、それを定量化の1つの基準に使う為でもあるのだ。

そして例えば着色層だったら、4倍希釈のクリア5ccに対してカラーインク等の色材を何滴、といったレベルでデータを採りながらテストを繰り返して行く。
 
これを各層に渡って少しずつ比率を修正しながら繰り返す訳で、コメントに100回と書いたのは誇張でも何でも無い事はお判り戴けるのではないかと思う(まぁ正確に数えた訳では無く、50まで数えた所でバカらしくなってそれ以降数えるのを止めたと云うのが実際の所ではあるのだが)。

つまりピンクだけでもそれだけの数のテストピースを、本番並のクオリティーで塗装したのであり、他の色も合わせたら初期のMG一体分ぐらいの塗装をカラーテストだけで行った事になる(本番通りと云う事は、当然下地処理も本番レベルでやっており、特に詰めの段階では、スジ彫りの切り直しもしなくてはいけない。本当にカラーテストの為だけにMGを一体作った様な物なのだ)。
 
当然手持ちのジャンクパーツなどすぐに底を着いてしまう訳で、テストピース用のパーツが必要になるのだが、この頃丁度良いタイミングで、秋葉原のイエローサブマリンがガンダムシリーズのランナー一枚売りを始めた。
 
これ幸いとばかりに何枚も買い込んだパーツは、次々とピンク色に塗られて行き、どんどん消費されていったのだった。[ 註3 ]

最近では、キット自体を買うより、カラーテスト用のランナー買いの方が遥かに多くなってます。ここまで来るとキットで買ったほうが割安なんですが、1キットの中にテストに適したパーツって実はそう多くなくて、ムダになるケースも多くある訳です。

テストに適したパーツが沢山入ったランナーと云うのも割と限られてくるので、何時の間にか、G-SHOPやパーツパラダイスへ行くたびにそう云うランナーを見つけてはまとめ買いする習慣になってたんですが、これが後に役立ちました。

HJ誌2001年5月号に載せたカラーピースは、基本的にこのストックでまかなった物、全て自前だったんですね~。特に講座向けに、とか考えてた訳でもないのに、必要が出来たんで数えてみたら同じランナーが10枚揃ってるのがあったと云う…。

HJ誌の記事では、毎回撮影用にダミーパーツが必要になる訳ですが、通常はそのためだけにキットが丸々支給されます。2001年10月号講座なんて、同じスネパーツが4つ必要だったので、そのために作例用も合わせてRe-GZの馬鹿でかいキットが3つ支給されました。さすがに5月号では同じ形のパーツが10~15個必要だったので、こちらのランナーストックを活用した訳です。

-蜥蜴-

 カラーテストの最初の段階ではMr.カラーを使っていた。

Mr.カラーの原色を元にローズ系のピンクを作ろうとすると、赤に紫を混ぜるしかないのだが、このやり方ではどうしてもイヤな濁りが出てしまうのだ。
 
蛍光のマゼンタ(Mr.カラーではマルーン)かパープルがあればそれを補う事も出来るのだが、この頃にはすでに新しい蛍光色(前項で触れた)に変わっていて、そのどちらも無くなっている為それも出来ない。
 
結局蛍光ピンクを混ぜたりしてテストを続けていたが余り思わしくなく、これがこの段階でムダにテストを増やす原因となった。

それでも50パターンぐらい試した辺りで、大体この辺だろうと云う候補は絞られて来たのだが、折り良く(悪く?)この時期に、予てから探していた新しい塗料がみつかったのだ。

図書館にあった塗料原材料便覧の巻末に載っていた日本塗料工業会の一覧からめぼしいメーカーの連絡先を書き写し(何故かこれが殆ど大阪方面)片っ端から聞いて廻ると云うのをそのしばらく前からやっていたのだが、ポリスチレン(PS)樹脂用の一液性ラッカーなんて滅多に作っている所が無い。
 
たまにあっても、個人にはサンプルをくれなかったり、やっとサンプルを入手したらクリアが白く濁ってて使えない事が判ったりと難航していたのだ。
 
諦めかけていた頃に、以前買った塩ビ用の塗料の容器にウチの隣町の住所が連絡先として書かれているのが目に入った。
 
これなら市内通話だから電話代も安いと思い早速掛けて見ると、なんとPS用のラッカーがあると言うではないか。
 サンプルは出せないが、直売店に200cc売りがあるのでそれを買ってくれ、との事なのでそれを入手し、ついでにカタログも貰った。

とりあえずはクリアだけを買って試してみると、まぁ塗料としての性能はずばぬけている訳では無いが、問題点も無い(実はこちらの方が重要)様で、まずは合格点。

しかしカタログを見て大きく心が動いた。工業用の塗料だから混色用の原色があるのは当たり前だが、その中にマゼンタがあるのだ。
 これさえあれば蛍光色を混ぜる等余計な事をしなくても充分に彩度の高いローズピンクが作れる。

200ccサイズならなんとか必要な原色を一通り揃える事は無理ではないし、メーカー側の対応も充分好感が持てる物だったので、近所と云う事もありサポート上の不安も無さそうと判断してこれを全面的に導入する事に決めた。
 
ただしそうなるといままでのテストのデータは殆どムダになる訳で、全くゼロからと云うのではないにしろ、大部分のデータはまた1から採りなおしである(このせいでこれ以降テストピースを数えるのを止めたのだ)。

結局最終的に全てこの塗料で塗った訳だが、その後当会メンバーのS田氏の職場で同じ塗料を使っていた事が判明した。
 それどころかつい先日には某超有名模型工房もこれを使っている事を聞かされ、この業界では結構メジャーな塗料だった事が判って、自らの判断がそう間違ってはいなかったと一安心したのだった。[ 註4 ]

この塗料は、現時点でもメインの塗料として使用し続けています。

-群島-

私がパール塗装に走り始めてから10年程になるが、模型用として売られているパール塗料や顔料は、初めから使うつもりが無かった。

一言で言って顔料の粒子が粗すぎるのである。

まぁこれは好みの問題でもあるし、確かに粗めのパールの方がキラメキ感は強いのだが、縮尺されているはずの模型に塗ったパールの粒子が目立ってしまうと、その段階で 「いくらなんでもそれは無いだろう」と云うか、何かシラけてしまう物が少なくとも私の中にはあるのだ(これは特にカーモデルの場合に強く感じる)。

あのザクに使ったパール顔料は昨年暮れに入手した物だが、ではそれ以前には何を使っていたのかと云うと、マニキュアである。
 
10年前に、マニキュアのパールホワイトにはキメの細かい物が多く、模型塗装(PS用)にも使える事を発見した事が、パールに走り始めた大きな原因だったと言えるだろう。
 
それ以来、銘柄はその都度変わっても基本的にマニキュアだけを使い続けて昨年まで来た訳だが、もっと微粒子の物は無いのかと云う思いは常に持ち続けていた。

それが昨年ひょんなきっかけでパール顔料の製造メーカーと連絡が取れる事になり、とにかく現在製造されているチタニウム・マイカ系パールの中で一番粒子の細かい物が欲しい旨を伝えると、通常は個人相手の取引はしないし、最低販売単位は1kgだとの回答。
 
じゃあ1kgだったら売ってくれるのか?と聞くと、指定の販売会社に頼んでくれると言う。
 
おまけにサンプルまでくれたので、前もって粒度をテストして、納得の上で買う事が出来たのだった(塗料の時と言い、この辺は本当に運が良かったと思う)。
 
結果として最高の材料を使う事が出来たし、ホワイト以外のタイプのサンプルも入手出来たので、近い内に別の物も買ってみようかと思っている。[ 註5 ]

結果として、これらのサンプルが後に、「MGパール」、「FGパール」の商品化に繋がる事になる訳です。

もう1つkg単位で買った物にアルミ線がある。これはもう狂気の沙汰と言われても何の反論も出来ない。
 動機はと言えば、とにかくマイナスネジが作りたかった、これに尽きる。
 
それこそ10年前に佐山善則氏のもとで「プラジェーター」を作って以来、模型に使えるマイナスのネジを捜し続けて来た。
 
改めて捜してみて判った事は、現在の日本ではマイナスのネジ自体が殆ど手に入らないのである(これについてだけは、本田宗一郎氏を恨んだ物である)。

最近ではネジの格好をしたディテール・パーツ等も幾つか出ているが、それをシルバーに塗っただけで無塗装金属を表現しました、と云うのはどうも性分として好きでは無いのだ。
金属製のネジパーツも出てはいるのだが、全て丸リベットか六角ネジで、マイナスの物は無い。

何とかならんモンかとずっと思っていたのだが、何回か前のWON-FESで、完成品工房「アトリエ」の福崎氏と話していた時にその話が出て、「ワークショップキャストの生嶋さんは、マイナスネジが欲しい時は虫ピンの頭に目立てヤスリで切り込みを入れて自作している」と云う話を聞いた。
 
それをヒントに、あらかじめパーツに穴を開けて置き、断面を磨いて中心にマイナスの切り込みを入れた金属線を埋め込む、と云う方法を思い付いたが、私の目的には量産が出来ないといけないのだ。
 
虫ピンはステンレスバネ材で出来ており、加工が大変でとても100個も連続しては作れない、取りあえず量産する為には柔らかい金属素材と、冶具が必要だとまず考え、素材としてはアルミがベストだろうと云う事になった。
 
マイナスの切り込みを入れる工具としては、なるべく細い溝が切れる物として、ハセガワ・トライツールの、0.1mm厚の模型用エッチングけがきノコギリTP-4を使うしかないと思っていたので、アルミ以外ではノコ刃が持たないと判断したのである。

マイナスの切り込み幅が0.1mmと云う事は、一番細くて0.5mm径の物が最小だろう、その上は0.7mm、0.9mmぐらいか…とここまで考えた所でそのサイズからの連想でハッと思いついた。
 身近に絶好の冶具があったではないか!そう「シャープペンシル」である。

先端が金属のパイプになっているタイプの物を買って、あらかじめそのパイプ断面の直径を正確に通る様に切り込みを入れておけば、あとは芯の代わりに同径のアルミ線を差し込み、断面をきれいに磨いてからパイプの切り込みをガイドにエッチングノコで切り込みを入れれば楽にマイナスネジが作れる!。
 
と、この様にして製作システムはあっと言う間に頭の中で出来あがったので、残る問題は材料だけとなった。
 
めぼしい店を全て廻って、0.9mmだけは東急ハンズで見つかったがそれ以下のサイズはどこにも無い。
 
普通なら0.9mmで充分小さいと納得して収まる所だろうが、皆さんご存知の通り私は普通ではない(自慢してどうする)。
 
ステンレスよりはマシかと洋白線や銀線も試してみたが、それでもやはり量産するには硬すぎてNG。
 
この頃になるともう誰彼かまわず会う人ごとに「細いアルミ線手に入らない?」とダメ元で聞きまくっていたのだが、何とこれが功を奏したのだ。

高校の同窓会がらみで、全く面識の無い10年近く上の先輩と云う人とメールをやりとりする事になり、その中についでにアルミ線の事も書いておいたら、やたら細かいデータと共に、1kgなら入手可能と返事が来たのである!(仕事がらみの人脈らしい)。
 
いくら私が普通ではないと言ってもこの量にはビビったが、材料以外の問題は全て解決済みであり、それさえ揃えば前人未踏の0.5mmのマイナスネジが実現できる!。と、一体何が凄いのか全く理解に苦しむ目標にすっかり燃え上がり、0.5mmと0.7mmをそれぞれ1kgずつ注文したのであった。[ 註6 ]

この後、これらのアルミ線は、大宮の、「レオナルド5」さんに引きとって戴きました。店頭には出ていませんが、店長さんに頼めば1m単位で売って貰える筈です。

これを最初に試したのは前回の展示会に出したHGザクだったが、頭の中だけで作り上げた製作システムにしては実に見事に何のトラブルも無く機能した。

とにかく最初から「量産性が無ければダメ」とアルミ材にこだわり続けた訳だが、これを実際に作ってみて、ネジ打ちは控え目にしたにもかかわらず、1/144のザク一体に約100本のネジが必要だった(金賞ザクについては、JAF-CONが終わってから数えてみたら、250本を超えていた)事を考えれば決して間違った判断ではなかったと思う(自画自賛2連発)。

先にも書いた通り、「プラジェーター」の製作が私のマイナスネジへのこだわりのきっかけだった訳だが、当時佐山氏から言われた事で今でも気を付けているのは、「マイナスネジの向きを綺麗に揃える様なダサいマネだけは絶対にしないでください」と云う、我々モデラーには耳の痛い指摘だった。[ 註7 ]

これはおそらく、佐山氏の師匠である、出淵氏直伝の哲学だと思われます。

従来、バンダイのキットでは、マイナスネジ状のモールドがある場合、必ずと言って良い程その向きが綺麗に揃ってしまっていたのですが、MGイングラムの頭部にある、通称、「ブチ穴」にあるネジモールドはしっかりバラバラの方向を向いている事からもそれがうかがえます。

それだけでは無く、考えて見ればあらゆる点でこの「プラジェーター」は、現在の私の出発点になったと言えると思う。
本格的なグロス塗装に初めて挑戦し、現在に繋がる私の塗装ノウハウの基礎を作り上げたのもこの時だし、模型用塗料以外の色材を積極的に取り入れる様になったのも、デザイナーの持つ繊細な色彩感覚に直に触れたこの時の経験がきっかけになっている。
 
何よりも、モデラーが、モデラーの都合だけで模型を作ってしまいがちな事への反省と言うか、疑問に気付かせてくれた事が一番大きかったと思うのだ(尚、このネジ製作法は出典を明記して貰えれば、パクりOKである)。

-雲雀の舌のゼリー寄せ-

シャア用を作るとは言え、キットはF型である。

 
脚のパーツはともかくとして、バックパックだけは出来ればS型の物を使いたいと考えていながらも作業は進んで行き、半分諦めかけた頃に、当会メンバーのK林氏がS型のキットを持っている事が判明した。
 
恐る恐るパーツ交換を頼んで見ると、快くOKが出てめでたく交換成立。
 
これで最終的なスペックは殆ど決定し、後は単純作業を繰り返すだけ(ちなみに本作を作るにあたっての基本コンセプトは、「PGザクを全肯定する」であった)。

作業もこの辺に来ると、実際の製作以外にもコンテストへのエントリー手続き等の事もそろそろ考えないといけなくなって来る。
 
やはり当会メンバーのH沢氏と話していた時この辺の話が出たのだが、スタッフ経験のある彼曰く、「エントリーは前日に済ませて置いた方が良いっスよ」との事。
 
「2日続けて有明まで行くのは面倒だなー」等と地方のモデラー諸氏が聞いたら烈火のごとく怒りそうな事を言ったら、「だったらボクが前日にエントリーだけして来ますよ」と願っても無い申し出をしてくれた。[ 註8 ]

後日、この時何故H沢氏がわざわざエントリーを買って出てくれたのかの理由を知りましたが、氏の名誉の為ここでは、「いかにも彼らしい、微笑ましい(?)動機」があった事だけ言うに留めます。

実はこの時期、当初の予定に比べて余りにも時間が掛かりすぎた為、JAF-CON参加には弱気になっていたのだが、こうした周囲のサポートのおかげで持ち直し、とにかく期日にだけは間に合わせる決意を固めて怒涛の塗装作業へと入ったのだった。
 
改めて両氏の協力に感謝する次第である(直前にH沢氏に電話したら、その約束をすっかり忘れていたのにはコケたけどね)。

-星亡き御宙に漆黒の聖書-

 後はひたすら孤軍奮闘、ぎりぎり前日の昼までになんとか形にしてH沢氏に托し、当日の為に少しでも寝ておこうと家に戻って仮眠をとる事にした(実はこの時にはふくらはぎ部両側の金属製マルイチパーツは間に合わず、ただ穴が開いただけと云う状態でエントリーとなったのだが、H沢氏に意見を求めたら、「そんなモン言われなきゃワカンないっスよ」 如何にも彼らしい意見である)。
 
ようやくウトウトし始めたかなと云う頃に彼から電話が入り、結構早く着いたなと思いながら電話を取ると、開口一番

「右手の人差し指の先が見当たらないんスけど」

と爆弾発言。
 
眠気など一気に吹っ飛び目の前は真っ暗、「どうしましょうか?」と聞かれてもマトモな返事など出来ようも無い。
 
とりあえずそのままエントリーしてくれと頼んで電話を切った後は頭の中を数々の後悔ばかりが駆け巡り、どん底の気分でいた数分後に再び電話が鳴った。

「箱の隅っこに落ちてました」。

全身の力が抜けるとは正にこの事であり、もはや眠気など薬にしたくも無くなっている。
 結局疲れ切っているのに眠れない最悪の状況のまま朝を迎えたのだった。

-赤-

当日は知り合いのディーラーに終日座っていた。

 ここが例の1/144エルメスを出していた所で、私がそこにいるせいで皆が皆、あれを私が塗ったと誤解する物だからその度に違うと説明するのには疲れたが、それ以外は気楽なもの。
 
最初からメジャーな賞など取れる訳が無いと思っているから入選発表も見に行かなかった(と云うよりそう云うシステムに成っている事自体を知らなかった)。

そろそろ展示品を受け取りに行こうと展示場所に行くが、朝あったはずの所に無い。

係の人に尋ねていたら何と場内放送で私が呼ばれており、「あっちみたいですね」と指差された方向には入選作がならんでいて、「へ?」と思いながらそちらへ向かう、これが第一のマヌケ。
 
人だかりの隙間からあのザクが見えたと思ったら横に

「金賞」

と書いてあるでは無いか!
 
「やった」と小さくガッツポーズをするがここでもマヌケは続いていた。
 
JAF-CONのシステムを知らなかったので、その上にまだ「大賞」がある物だとばかり思っていたのだ。[ 註9 ]

大賞も金賞も同じ様なモンだろう、と思われるでしょうが、実際に貰う立場になるとこの2つは大きく違う物です。何が違うって賞金が違う。

HJ誌主催のコンテストにおいては、大賞と金賞では、はっきりランク分けがされているらしく、少なくともここ数年の各コンテストでは、「金賞」は10万円止まり。「大賞」はその上に位置しており、オラザクではご存知の通り30万円になってます(オラタコ大賞は20万円だったか?)

まぁ、この辺は自分が貰う身にならない限りどうでも良い事ですから認識が薄いのも当然で、私も受賞後に、BOOK-OFFでHJ誌のバックナンバー漁って初めて知りました。昔は副賞がついた事もあったんだなー、とか(それもレトラのコンプだよ!)。

向こうはかなり待っていたらしく、「石川ですが」とエントリーカードを差し出すと、てきぱきと説明が始まり、受賞者へのお願いと書かれた紙の入った封筒を渡され、その中のもう一枚の紙を示して、「こちらには賞金の振り込み先をお書きください」と言われたのだが、ここで又マヌケをやった。

「あ、賞金とか出るんだ」
 
「…」。

そりゃぁコンテストに賞金が付き物なのは私だって判っちゃいるが、まともな賞金が出る様な賞などついさっきまで無縁だと思っていたのだ。

そのまま受賞者撮影に連れて行かれ、マヌケ面を写真に撮られた後は、他の受賞者達と二言三言話したかと思ったらすぐに、「これから授賞式なので、ステージに向かう準備をお願いします」。

ステージだと?!

そんな話…などと考える暇も無いままにゾロゾロと列を作って、名だたる有名モデラー諸氏の待つ控え室へ。

ここでやっと他の受賞者達と少し話す時間が出来たが、そこで初めて「大賞」は元から無い事を知った。

「じゃ金賞がトップなの?」、
 
「ガンプラ部門の金賞がJAF-CON特集号の表紙になるのが恒例らしいですよ」、

「表紙?!Δ§ΨΩΦ」…。

ここまでマヌケが続けば授賞式の「どうもすいません」なんて可愛いものと言えるかも知れない。

-CRIMSON COMET-

入選する筈が無い、と思っていたのなら何故そこまでしてコンテストに出した?と云う質問には明確な答は無い。

ただ言えるのは、あのザクは現在における私の到達点であり、それを審査員や編集部に、「直接」見てもらった時に、純粋に客観的にどう評価されるのかが知りたかったのだ(だからオラザクでもガンプラ王でも無く、JAF-CONで無ければならなかった)。
 
入選しなければ評価もクソも無かろう、と言われればその通りだが、選外でも何らかのリアクションはあるに違いない、とまぁ自分の塗装技術に対して一応その程度の自負はあった事は確かではある。

唯、結果としてそのリアクションがこちらの予想を遥かに越えていたと云う訳だ。

こう云う評価を得た以上、これからはもう少し自分の方向性に自信を持つべきなのかも知れない。 
「素組みにもかかわらず金賞」を取ったのでは無く、「素組みだからこそ金賞」だったのかも知れないとも思う様になった。

それでもやはり、朝イチで模型コンテストの展示を見に行った時、隣で見ていた若い二人組が言った、「こ~のツヤも無駄だよなー」と云う感想は肝に命じて置かなければ、とも思うのだ。

最後に、本作の製作に力を貸してくれた皆さん、金賞に選んで戴いた審査員、HJ誌の皆さん、そしてこれまでこの原稿を応援して戴いた皆さんに感謝します。